姉、美保に宛てたメッセージ
  


 美保ちゃん、元気ですか?

いえ、元気でがんばっていると信じています。

今、私はアメリカの首都ワシントン、ホワイトハウスの前にいます。

美保ちゃんの救出を訴えるために、この地にやってきました。

あなたが私たち家族の前から突然姿を消してしまってから22年になろ うとしています。

自分の夢に向かってがんばっていた20歳の頃の美保ちゃんの姿は、今でもそ の印象のまま私の脳裏に焼き付いています。

「図書館に行く」と言って出かけたあの日のあなたは、いつもの美保ちゃんでした。こんな にも長い間家に帰らない日の朝になるとは、夢にも思いませんでした。

 あなたが家から姿を消してしまってからというもの、父さんも母さんも私も、東京の女子 大の進学を反対したことをずっと悔やんできました。あの時、賛成して送り出していたらと。

でも、お兄ちゃんが亡くなって、美保ちゃん一人を東京に行かせたくなかった、家族がバラ バラになるのが耐えられなかった、美保ちゃんにはいつもそばにいてほしかったのです。

たぶん、あなたもそんな私の気持を理解して家に残ってくれたんだと思います。進学した看 護学校では、山登りに夢中でしたね。高校時代、一緒に入った山岳部で登った南アルプスの山々、鳳凰三山の美しさは今でも忘れません。美保ちゃんが、18、19歳 と北アルプスの山々に挑戦していた頃の山の写真はアルバムに残っています。今日もあなたのポスターにして持ってきました。

その間、私は少し山から離れていましたが、今、また3千メートル の山に挑戦しています。仙丈ヶ岳、甲斐駒ケ岳、北岳、山梨のアルプスの山脈を覚えていますか?一昨年、昨年と私はこの山頂に立つことができました。昨年 は、息子と長年の夢だった甲斐駒ケ岳に登ることができました。亡くなったお兄ちゃんにどこか似ている息子です。

大好きだったお兄ちゃんが亡くなって、悲しみに暮れていたあの頃、家族みんなを支えなが らも自分の目標を失わなかった美保ちゃん。父さんや母さんを一番心配していたあなたが、家族に黙っていなくなるはずがありません。気持の弱かった私をきょ うだい一人にするわけがありません。この状態は、美保ちゃんの意思ではありません。そう信じています。 

2002年、 日本の小泉首相が訪朝したのを境に、美保ちゃんが拉致されたのではと、大きな報道になりました。図書館に出かけたはずのあなたのカバンが、新潟県の柏崎の 荒浜海岸に落ちていたからです。同じ柏崎で蓮池さん夫妻が拉致されていました。蓮池さんご夫妻、地村さんご夫妻、曽我さんご夫妻は、無事日本に戻ることが できました。国民全員で救出活動をしたからです。

 今まで難しい問題にも直面しましたが、美保ちゃんは元気でいること、北朝鮮で助けを 待っていることを信じています。

あなたに再会することは私の使命だと思っています。

 あなたに会えるまで、私は声を出し続けます。美保ちゃんに会いたいという気持に、たく さんの方が力を貸してくれました。

私の大学の恩師の方が声を挙げ、その後、甲府東高校の同級生がすごい力を貸してくれたの です。なにがあってもひるまず、これまで支えてくれました。市川小学校の同級生も大きな力で動いてくれました。長松寺、池田地区の方々も美保ちゃんの帰り を待ってくれています。みなさんの力で集めた美保ちゃんを救出する署名活動は、20万人の署名を集めるまでになりました。署名を2度に分けて 政府に提出しました。

人前で話すことなど苦手な私が、たくさんの人の前で美保ちゃんのことを話してきました。 こんなことにも慣れてしまうほど、美保ちゃんの救出には長いこと時間がかかっています。

横田めぐみさんのことを知っていますか?同じ世代ですから、どこかで会ったことがあるか もしれません。佐々木悦子さんと一緒に部署にいるとの目撃情報もあります。秋田美輪さんも同じようなケースでいなくなっているのです。

日本では、400人を数える人が理由もなくいなくなっています。特定失踪者と呼ばれる人 たちです。特定失踪者問題調査会の荒木先生が中心になって、みなさんの情報を集めて救出に乗り出してくれました。

短波放送「しおかぜ」を聴きましたか?荒木さんの声や家族の声が聴こえましたか?美保 ちゃんをはじめみなさんに宛てたメッセージを流しています。

北朝鮮に囚われたみなさん全員を助け出すまで、私たちはあきらめることなく声を挙げ、救 出活動を続けます。どうか会えるその時まで、希望を失わず、力強く生き続けてください。

もう少しで会えると信じています。

大好きな美保ちゃんに必ず会えると信じています。

2006年4月22日  

あなたの妹 美砂