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1973年、お前は
バンコックへ仕事に出かけました。
そしてそのあと、たびたび家に帰ってきましたね。
しかし、ある日突然マカオで誘拐されたとの連絡が届きました。
このニュースはお前の友達が父親と私に手紙を送ったもので、彼女は私たちに会いたいとい
うものでした。それで、私たちは彼女に会いにバンコックへ行きました。彼女は詳しい説明なしに、あなたは6ヶ月前にマ
カオで誘拐された、と言い、それが私たちが聞いたすべてでした。
私と父親がうちに帰った後、私たちの家族は集まって、お前のことを話し合いました。みん
なお前がいつか帰って来るだろうといいました。そして私、父親、姪たち、そして甥たち、親戚中のみんなは1978年か
らずっとお前を待っていました。
2005年の10月1日、TVで、ア
ノーチャパンジョイさんはマカオで誘拐され、それから北朝鮮で暮らしている、といっているニュースを見ました。それを見るやいなや、そのTV局へとん
でいきました。そのTVニュースの後、たくさんのレポーターが家にやってきました。しかし、私は誰に助けを求め
るべきか分かりませんでした。それで私はレポーターに、このニュースを北にいる妹に届けるようにしてもらえないか、とたのみました。
お
前、私の妹アノーチャパンジョイよ、おまえは私達の家族みんなを覚えているでしょう。
お父さんのサムパンジョイ。
義妹のトングパンジョイ。
そして姪や甥たち、
ウアパンジョイ、ウライペンルアング、そしてバンソ
ンペンルアング。
お前、私の妹アノーチャパンジョイよ、私が心の底から書いたこの手紙をもしもしお前がう
けとり、幸せな気持ちになってくれることを望んでいます。
そして、どうか悲しまないでください、6ヶ月前に27年間お前
を待っていたのに、お父さんが亡くなったことを。姪と甥の2人、バンソンとユーも亡くなりました。
お前、私の妹アノーチャパンジョイよ、
この手紙を読んだ後、私のことを思って寂しくてたま
らない気持になるでしょうね。
お前のニュースを見てから、私たち家族全員はお前にすぐ会えると期待しています。
この拉致はお前におこるべきことではなかったので
す。
みんながお前に会いたがっています。
お前がいなくなった後、私たちにはたくさんの試練や困難がありました。
私たちはお前を探すためにたくさんのお金を使いまし
た。
お父さんは病気になったので、最後に97才のお父さ
んを入院させました。
しかし、昨年亡くなりました。
お前がこの手紙を読んで、そして家族みんなを想ってなつかしむよう願っています。
私たち家族はお前が帰れるように助けたい。
こわがる必要は何もありません。
最後に、お前が元気で健康でいることを願っています。
みんな寂しがっています。
私はいつもここにいて、いつもお前を想っています。
2006年3月21日 スカ
ムパンジョイ
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