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拉致問題に思う 浅野泉
* 日本政府の態度 例えば、1979
年警察庁は、久米裕さん拉致の犯人を逮捕した石川県警警備部公安課に、警察長官賞を送っています。政府は北朝鮮拉致の実体を知っていました。 例えば、1988
年に有本恵子さんの両親は、確固たる証拠を持って政府の各所に嘆願しましたが、無視され続けました。 その極め付きは、2002年9月17日でした。日本政府は日本人家族の安否の確認、安全の確保よりも、北朝鮮の広報塔になり下
がることを選ん
だようです。嘘つきが確定している北朝鮮の情報を鵜呑みにし、その嘘の情報を前提にして、日本でのマスコミ対策に苦心しました。時間があったにも関わら
ず、北朝鮮の情報の確認作業をせず、加えて、確認作業をしていると嘘を言いました。日本政府は、そのことを午前に聞いていたにも関わらず、家族会対策、日
本のマスコミ対策にあけくれ、それを既成事実として押し付けるための策略を労し、確認作業をしていると嘘を言って発表を午後に引き伸ばしました。また先に
家族に伝えるのではなく、マスコミに流すことで、それを既成事実にしようとしました。 日本政府のそのような態度は、山梨県 の拉致被害者の 一人山本美保さんの例でもうかがい知れます。2004年になって急に当局のDNA 鑑定により、20年前に山形の海 岸に流れ着いた死体が山本さんのものである、との突然の結論が下りました。ところが良く調べてみると、その死体は、サイズ も、歯も、服装も、そして腐蝕度 等の状況も、何一つ山本さんのものであるという結論に至らないものでした。このDNA鑑定ですが、再検査はできないという問答無用の一方的なもので、 DNA検査の専門家が聞いても一般の人が聞いても、とても納得できないものでした。考えられる結論は、検査用にと双子の妹の美砂さんからとったDNAサン プルを二つに分けて、それを比較して一致したという結論を出したのではないかということです。そもそもDNA鑑定は、そのような可能性を避けるため、双子 のを使うのではなく母親のを使うのが科学的に正しいやり方です。当局はこの説得力の全く無い発表をマスコミに流し、その後の説明は拒否しています。日本政 府は、山梨県警の言ってることが妥当かどうか、何故に調査しないのでしょうか?
国民が外国政府により組織的に誘拐さ
れ続けているの
に、そのちゃんとした救出機関どころか調査機関さえもない、ということは、国家として最低のことさえなされていないということです。何故に拉致被害者一人
一人の正否を政府がちゃんと調査しないのでしょうか。日本政府が拉致問題の解決に本気でないことは露骨です。それは北朝鮮政府の水害対策機関が外務省の中
にあること、つまり北政府にとっては水害が国民の命の問題としてあるのではなく外交の手段としてある、のに似て露骨です。 日本政府が拉致問題の解決に本気で
ない、というこ
とは、蓮池薫さん達の帰国者も感じていることでしょう。彼等はほとんど口をつぐんだままです。必ずしも全面的に協力的ではありません。しかし彼等にとり、
北朝鮮は本気だが、日本政府は本気ではない。つまり北は場合により殺すかもしれないが、日本政府には命を守るという覚悟が昔も今も感じられない、からでは
ないでしょうか。 日本政府のその態度は今年4月に横田さん達が訪米した時も濃厚でした。日本政府がやるべきことをやってなくて、外国政府に下駄をあずけ
ている。それな
のに日本の政府関係者は、大統領に面会できたことに狂喜しただけでした。何故に米大統領が面会したのかの分析もなく、どのようにして国際的な連帯をしてい
くかの考慮もありませんでした。日本政府にとり、喜んでいる場合ではなく冷や汗をかくべき時だったのです。横田さん達が米国議会で証言した時に米国議員は
質問しました。「拉致だとどうしてわかったのか?」「日本の議会は何をしているのか?」と。 過去数十年の拉致問題の歴史の中で、
極論すれば、北
朝鮮政府と日本政府が、結果的に、言わば、共犯的な関係にあったのではないかということが言われています。過去の日朝の会談でも、日本側は北側のトップが
席を立った時に、拉致問題を台本どおりに一応言うだけ言ってみる、という合意の茶番が行われていたということをご存知の方もいらっしゃるでしょう。それは
国民の批判をかわすためのアリバイ作りだったのです。日本政府は、過去一貫して拉致問題の黙殺、隠蔽、圧殺、沈静化、そして幕引を図ってきたのではないで
しょうか。 現在は以前よりは多少良くなりまし
た。しかしそれ
は、政治家や官僚が変ったからではないと思います。世論の批判を浴びては、自分が損をすると感じたからに過ぎないのかもしれません。もちろん例外はいるで
しょう。そして大変な努力をしたりっぱな政治家、官僚もいます。しかし一般的に、政治家や官僚の対応は冷たいものでした。
つまり政治家や官僚にまともな行
動をしてもらうためには、国民が圧力をかけなければならないということです。そしてまた政治家や官僚は、できるだけ最低のことしかしないので、国民は常に
圧力をかけ続けなければならないということです。日本政府には、まだ拉致被害者の調査機関さえもなく、民間に頼っています。そしてそれは非認定の拉致被害
者だけでなく、政府認定の拉致被害者についても同様です。横田めぐみさん等の拉致を確定したのも、政府の調査でなく民間の努力でした。
ある意味で日本政府、政治家の態度
は、一貫していた
ようです。つまり自分達、政治家や官僚の得にならないことは、一切せず、拉致を隠し、場合によると嘘までついてきました。このような例は無数にあります。
その原因は、金丸信の金の延棒に象徴されるような利権や北朝鮮に何か個人的な弱みを握られたという例だけではないでしょう。 政治家や官僚の身になって考えてみま
す。自分の個人
的な損得しか考えない人間のことは除外します。また特に日本人に特有な「長いものにまかれろ」的な態度。直接関係無い一般国民だけでなく、政府の人でさえ
も自分に個人的に関係ない面倒なことに関わりたくない、という気持ちもあるのでしょうが、ここではそれも除外します。 一つには、戦前の日本のことへの贖
罪の気持ちがそ
れをさせている可能性があります。しかし戦前の自国の悪を戦後の他国の悪で相殺しようというのも、間違った考えだと思います。戦前に悪があるなら、それは
きちんと対応すべきです。戦後の悪も、同様きちんと対応すべきです。 一方また、外国と友好するという外交
の大きな問題の
ためには、少数の人間のことは二次的なことだ、という考えがあります。それは次の3
つの理由で間違いだと思いま
す。1.拉致するような外国政府と友好するのは止めた方が良いです。2.北朝鮮政府は、多数の自国民を死亡させるような政府です。そのような政府とは友好
すべきではありません。3. 国家政府の一番重要な役目は自国民の安全を保つことです。それが友好に優先されることはありません。それが理解できないとし
たら、それは国家が何のためにあるのか、あるいは何のための友好なのか、の基本さえ知らないということになります。
この拉致の問題を「国権」、国家の権
利として論じ
るむきがあります。確かに北朝鮮に対しては国権の問題でしょう。しかし問題はもっと切実だと思います。権利というと、やっても良いがやらなくても良い、と
誤解を与えそうです。これは権利だけの問題ではなく、国家の義務だと感じます。それは絶対にやらなければならない義務なのです。犯罪があった場合、それに
対応するのは、国家社会の最も重要な義務の一つです。なのに、色々な言い訳でそれにまとも
に対応していないことは、簡単に言えば、国家としての義務を果た
していない。国家の体をなしていない、とさえ言えるのではないでしょうか。自分達の一人が誘拐されているのに、それを放置しておいては、それは国家ではな
く共同体とさえ呼べないように思います。 また拉致問題は人権の問題だ、との考
えがあります。
しかしこれにも異論があります。人権問題とは、普通、名誉毀損とか、プライバシーの侵害とか、表現の自由とか、そういう時に使われる言葉であって、誘拐に
使われる言葉ではないでしょう。殺人があった時、それも人権問題でしょうが、誰も人権問題とは言いません。誘拐も同様です。誘拐は殺人と同様に、極刑に値
する犯罪です。 い つから日本の社会はこんなにいい加減になったのでしょうか。ずっとそうだったのかもしれません。日本社会は実は一貫して変わってないのかもしれません。昔 は嘘を言ってまで無理な戦争を続け、内外に多くの死者、不幸をもたらしました。今はアメリカとの関係で直接には戦争に参加していませんが、間接的には参戦 しているのと同じようなものです。無責任に他人任せで、流れにそっているだけと言う点では、ひょっとして昔と今は同じようではないかと感じます。一見、戦前の好戦的な政府と、戦後の厭戦的な政府で、正反対の印象を与えますが、実は流 されるということでは同じであり、そんなことでは失敗を繰り返すことになると恐れます。戦前の日本が無謀な戦争で悲惨な結果を生んだことと、拉致等を見過ごし て、結局は流され ている現在の状況は、同じ原因なのかもしれないと恐れます。
1.まずは、日本政府内に拉致被害者
の実態を調査す
る調査機関を作ることです。同時に拉致被害者救出のための機関を作り、具体的な救出策を作成する必要があります。 2.北朝鮮の崩壊等があった場合に備
え、拉致被害者
救出の具体的な計画が必要です。例えば、救出用のハングルのビラの準備や、誰がどのように救出に行くのか、具体的な計画と訓練が必要です。 3.また北が崩壊した場合、中国に多
数の難民が殺到
することが予想されます。その時は世界的な支援体制が構築されるでしょう。その請求書の一番の払い手は日本になる可能性があります。日本人には、それに対
応する覚悟と準備が必要です。 4.北朝鮮崩壊後、日本は、統一コリ
ア等、新しい北
東アジアの地政の中で、独立と安全を保ち、北東アジア諸国だけでなく米国等も含め各国との友好を続けながら発展していかなければなりません。それには今ま
でになく、膨大な知恵と努力が必要です。それは明治維新後の日清、日露戦争を経て、日中、日米戦争と続く時代の困難さに匹敵するとも言えるものではないで
しょうか。過去においては、最終的に日本は言わば失敗して終わったと言えます。失敗を繰り返さない準備が必要です。
拉
致被害者救出のための活動は、もちろん戦前の軍国主義的な日本に逆戻りするための手段ではありませんし、また戦前の日本を肯定しようという運動でもありま
せん。それについては、戦前も戦後も何が悪く、何が良かったのかを、一つ一つ、日本人自身が吟味し、論議し、改革していかなければなりません。右翼の人達は勝者による極東裁判を批判しながらも、自国民での裁判を推奨しているわけで
はないようですし、他方、左翼の人達は反米を唱えていますが、結果的にはアメリカの丸抱えの現状のむしろ擁護者になっているようです。日本人に必要なことは、一億総ざんげでもなく、また戦前の肯定
でもないはずで
す。 拉致救出の運動は、被害者家族、特
に家族会の人達
の必死の努力で、生き長らえ、そして国民運動にまでなりました。政府の抑圧にも関わらず、一般の人々の努力で国民運動になった例は日本の歴史ではあまり多
くはありません。明治維新も上からの改革でしたし、戦後の民主化もアメリカにやってもらいました。一般民衆の努力で国民運動になった例をしいて上げれば、
明治の自由民権運動でしょうか。誘拐された家族を助けるという人間として当然の願いから始まった拉致救出の運動が、人民による政治という意味で、日本の真
の民主主義の礎になることを願います。そして誰の命であろうと、命を尊び、真実を追究する民主主義の社会を作っていかなければならないと感じます。 |